プロフィール

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はじめまして。感染症救急医のトラスタスです。

トラスタスの名前の由来は信頼(トラスト)を足すという造語です。

私は大学医局人事+産業医という暮らしをしてます。

大学病院って給料も安いし仕事も大変。

ただ専門医を取らないのも怖いし留学だってできるならしたいですよね?

そこで医局で派遣される外勤先ではなく、自分で外勤先をみつけて産業医で時間的にも金銭的にも余裕のある暮らしをしています。

産業医のバイトは短い時間でしっかりお金が稼げる良いバイトです。

ハイパーとかハイポとかどっちが良いじゃなくて、両方の良いとこを足して良いとこ取りってどうですか?

ぜひ専門医も海外留学も資産形成も自由な時間も諦めないで下さい。

ブログの内容は臨床や専門医試験のことはもちろん、留学、キャリア形成、お金の管理方法などです。

少し長くなりますがどうして医者になったか?医者になって現在何をしているか?も書いていきたいと思います。

誕生

生まれたのは福岡久留米市にある聖マリア病院です。

3人兄弟で姉と兄がおり、末っ子です。

3200g前後と体重はしっかりあったものの、生まれてから間もなくABO型血液不適合による黄疸が発生。

光線療法をしましたが改善せず、NICUに入院となりました。

このまま放っておく核黄疸になってしまうため、緊急で血液交換の方針です。

新生児科の先生はご存知だとは思いますが血液交換といっても用手的に血液を抜き、輸血を繰り返すかなりアナログな方法です。夜通し小児科医が血液交換をしてくれたそうです。

父親はこのことを本当に感謝しており、何度も何度も話してくれて『お前も将来は医者になって人を助ける人になるんだよ。』と言われ育ったため幼いころから医者になることは頭の片隅にありました。

現在でも頭部CTやMRIではその当時の脳梗塞が残っていますが、幸いに大きな後遺症なく元気に育ちました。

お世話になった橋本武夫先生をはじめとする諸先生方には本当に感謝を申し上げます。

小学校時代

小学校からは親の転勤のため千葉県にやってきました。

小学校1年生からサッカーを始めたため小学校ではサッカーばかりやっていました。

中学時代

中学受験はサッカーばかりやっていたため第一志望に落ち、偏差値45くらいの男子校に入学しました。

中学はまさに暗黒時代ですね。

サッカーは続けていましたがインターネットにハマってしまいした。

その当時のインターネットはまだ電話回線を使用していたためテレホーダイというサービスが始まる23時からインターネットを開始するんです。

どんどんハマっていき現実世界よりネットの世界の住民となりました。

中学生のころは朝起きられず、遅刻の常習犯でした。

高校時代

高校は中高一貫校だったのでそのまま進学しました。

大好きだったサッカーも辞めてしまいます。

闇にまっしぐらでしたが高校2年生の夏休みに大きな転機が訪れます。

今はもう中止になってしまいましたが千葉県が高校生青年海外派遣隊という事業をやっており、たまたま参加できました。

タイとシンガポールに1週間かけ現地の高校生と交流をしたり、観光するんです。

ここで大きな衝撃を受けました。

1つ目は、海外派遣団は色々な高校から集められているため「本当に同じ高校生なの?」って思うくらい優秀な人や自分で学費を払って定時制に通っている22歳の人もいるんです。

目玉が飛び出るぐらい驚きました。

2つ目は、海外ではストリートチルドレンやスラム街も見ました。

明日の食事もままならない貧困という現実に強烈な衝撃を受けました。

千葉県の海外派遣では今までに自分が経験したことのない世界が日本でも海外でも広がっていました。

この夏休みをキッカケに自分は大きく変わりました。

『医者になり、人のために役に立ちたい。』と強く思いました。

それからはガリ勉街道まっしぐら。

朝は30分早く学校に行き予習。

早弁して昼休みは図書館で勉強。

学校終わったらそのまま予備校に。

そんな勉強のかいあり、現役でめでたく関東の私立医学部に合格します。

暗黒時代の終演です。笑

大学時代

大学では大好きだったサッカーを再開。

海外にも貧乏旅行でしたが10カ国以上行きました。

大学の交換留学制度で1か月留学も経験しました。

サッカーと海外旅行を楽しんだ医学部生活でした。

初期研修医時代

研修医は千葉県の大学病院に戻ってきました。

最初は小児科に入局する予定だったんですが小児救急という分野があることを知り、救急科に入局することになります。

『小児科より救急科の方が大人から子供まで、内因性疾患から外傷まで幅広くみれるので楽しそう。』と思ったのが決め手です。

後期フェロー時代

日本では小児救急専門医は存在しないため最初は大学病院で救急科で1年研修。

国立成育医療・研究センターで集中治療麻酔科のフェローとして1年半研修。

その後は大学病院の小児科で1年半お世話になり小児科の研修を終えました。

医師6年目 救急専門医を取得

大学院時代

大学院と言っても名ばかりの大学院生です。普通に大学病院で働いておりましたが研究のため感染症を学ぶことになりました。

この間に

医師7年目 小児科専門医試験 不合格

医師8年目 小児科専門医と集中治療専門医を取得

医師9年目 大学院卒業し博士学位取得

このころに子供が2人でき徐々に大学病院で働いてて大丈夫かな?と思うようになってきました。

+産業医時代

博士号も取得し大学病院を辞めようとも考えたんですが、自分の実力では海外留学できない。

なのでこのまま医局人事にのり海外留学もしつつ、外勤先は医師求人サイトから探して産業医のバイトを始めました。

完全に産業医に入ってしまうと臨床が出来なくなってしまいますがバイトなら効率よくお金を稼げてとても快適です。

研究留学時代

医師12年目 ニュヨークに留学

2年間留学する予定です。

最後に

長い文章を読んで頂きありがとうございました。

ハイパーでもハイポでもないハイブリット医師ってどうですか?

専門医も海外留学も資産形成も自由な時間も諦めないで一緒に頑張って行きましょう。

読んでくれている人に少しでも役に立つように頑張っていきますのでどうぞよろしくお願いします。